フランスに住み始めて4年が経とうとしている件
※この投稿は、2021年5月頃に作成して、投稿をど忘れていたものです。
すっかり忙しい日々を送るようになり、この存在を気にしつつもまとまった時間が取れずにいた。
コロナの影響で仕事を失い、コロナ禍で仕事を始め、ようやく軌道に乗り始めたころ、コロナが収束しはじめると同時に色々な機会が増え始めている…。悩んでいる渦中である。
フランスに住み始めて4年で変わったこと
①日常生活編
・料理をすることが増えた
子供ができたことも影響しているのかもしれないが、料理をする機会が本当に増えた。そう、ちょうど引っ越してから1年が経とうとしているのだが、大きくて使いやすいキッチンと大きな冷蔵庫を手に入れたのも一つの要因かもしれない。7月に3歳になる息子は、和食をよく食べてくれるので、頑張りがいもある。相変わらず料理の腕は上がらないが、自分で作れる料理が何なのか、何となく分かってきた…(何時間も煮込む料理とかムリ…)
・市場に毎週でかけるようになった
家族で毎週市場に出かけるのが毎週のルーティンになった。4年前は、後ろでお客さんのプレッシャーを(勝手に)感じながら、もう質問が何なのか分からないまま「うぃうぃうぇぃうぇぃ」言いながら買い物をしていたあの頃が懐かしい。今でも、分からない単語や聞き取れないことはもちろんあるけれど、神経の図太さだけはいっちょ前になった。
・ホンモノのママチャリライダーになった
電動自転車を購入し、フル活用している。というのも、去年引っ越した今のアパートは、駅から少し遠いが、パリ中心地まで数十分とは思えないのどかで小さな島であり、メトロの駅や商店街なんかは少々遠いのである。さすがに真冬のクソ寒くて滑りやすい時期なんかは、誰に向けたら良いのか分からない怒りがこみ上げ、パリジャンの危なっかしいスピード運転に向けて、旦那から自然に学んだ汚い暴言を吐きかけたりしている。最低なアジア人BBAである。因みにこの時期は、サイクリングに最適な天気なので、ご機嫌に乗り回している。青い電動チャリを汗だくでこいでいるアラフォーアジア人をパリで見かけたら、私かもしれない。
・ハーフの友達ができた
去年のこの時期くらいから会いだしたのだろか…。恐らくパリでずっと付き合っていくだろう大切な友人である。パリに住んで20年以上。パリ在住期間の方が長いのに、パーフェクトな日本語を喋るパリジェンヌの彼女を通して、私はもっとパリを知り、もっとパリの魅力を感じている。
②仕事編
そう。去年はフリーランスの仕事を始めたばかりだったのか…。その後、コロナが本格化し、案件はたまには来るものの、去年の8月あたりから完全にゼロになった。仕方ないので、(暇潰しに)語学学校に戻ることにした。C1クラスは結構喋れる生徒も多く、士気の高いクラスメートの存在は、確かに良い刺激にはなった。ただ、仕事が好きな自分は、「働きたい」という思いと焦りに駆られていた。コロナ禍でほとんど求人もない中、グッと給料を下げて今の仕事を受けることにした。金融系の仕事はとても勉強になるし、何より日本人の優秀&ナイスな同僚やマネージャーと仕事をするのは本当に楽しい。
だから、文句を言ってはいけないと思っている。これも修行だと思っている。
最近、ある投資銀行が日本人のリサーチャーを探していると連絡があった。また、日本語ネイティブを対象にした面白そうな求人が結構出てたりする。
もう少し続けたい気持ちと、もっとフランスに根差して生活したいという気持ちと、相変わらず不安定である。でも、一つ確かなのは「人生は一度だけ」ということである。
キャリアに関しては後悔のないよう、自分の気持ちに正直でありたい。
③マインド編
去年のこのブログを読み返すと、当時の痛みが蘇ってくる…。
その後、実に順調な精神状態を保てている。
大きくは仕事のお陰であることは確かだ。毎日仕事があり、何かしら社会と繋がって、自分にしかできない(ということもないが笑)仕事をして、それなりに評価してもらっている。今お世話になっている会社には、感謝しかない。
未だに意地悪を言われることも、嫌な奴にうっかり出くわすこともあるが、「まぁ、この人達とは人生の中で関わる必要もないな」とハッキリ切り捨てることも重要だと思うようになった。
誰とでも仲良くできれば最高だが、そんな世界が成立すれば、戦争もなくなるだろうし、貧富の差だってきっと今よりマシなはず。少し大げさになってしまったが、まぁ分かり会えない人達が一定数いることは、悲しいかな現実であり、それを変えることはきっと不可能である。
短い人生の中で、どこに時間を費やすかを割り切ってしまうのも重要だと、この国では学ばせてもらった。(その点、合わない相手と口論を繰り広げるフランス人は、案外人との距離の取り方が下手なのかもしれない…。)
来年がどうなるかはサッパリ分からないし、計画も立てる予定はないが、息子が幼稚園に上がるタイミングだし、夫もずっと「転職したい」と言っていたので、恐らくコロナが収束してきたこのタイミングになるだろう。
母として妻として、今年はサポートに回りたいなんて考えながらも、自分の転職もあきらめきれない、そんな今日この頃なフランス5年目である。
私がPACSを薦めない理由(国際カップル限定)
私は3年前、国際結婚で日本からフランスに渡った。
なので、これは実体験ではなく、単なる選択肢として(そして周りからPACSをしている国際カップルを見て)何故薦めないのかを綴っていきたい。
では行ってみよう。
私がPACSを薦めない理由
最初に…
フランスは女性の社会進出が、日本と比較するとずっと進んでいて、しっかり自立した女性が沢山いる。なので、それぞれ経済的・精神的自由を手にしたカップルが「離婚のリスクから解放されつつも、家族を築きたい」とPACSを選択することについては、大いにアリだと思うし、むしろ先進的で対等でとてもカッコイイと思う。
メリットについては誤解を恐れずに言うと、「結婚と同等に税法的に優遇されつつも、別れる際に手続きに時間が取られない(更に、両者ではなく一方の申し出でOK)」ということだと思っている。
今回、読み手として考えているのが、私のように①仕事を辞めて日本を発ち、②フランス語を一から学び、③すでにそのころアラサーで④学位を取ったりする予定もなく、⑤とはいえすぐに前職と同じだけ稼げる後ろ盾もないような方に向けて送る(超おせっかいな)メッセージである。
そして、先に一つ言っておきたいのが、この条件に当てはまるような日本人も、頑張ってPACSでフランスに住み、パートナーと生活を続けている方も沢山いる。特に、子供がいるカップルについては、滞在許可が下りるので、全く問題ないと思う。
理由①滞在許可の取得が大変
晴れてPACSを結び、「さぁ、VISA取って渡仏だ!」とはどうやら行かないらしく…。PACSの場合、契約締結後、一年以上の同棲が滞在許可取得の必要条件らしい。
なので、PACSを結んだ後は、大学や大学院への進学や語学学校への入学をし、次は学生VISAを取得。そして、一年後の滞在許可取得を目指し、学生としてフランスに滞在する…というパターンが多いとのことだ。
学生VISAを取得するには、一定以上の授業時間が必要になる。もとから学生に戻りたい人達は別として、そうじゃない人達には結構な時間&お金の浪費になってしまうのではないだろうか。
理由②別れるのが簡単(一方の申し出でOK)→自然とパワーバランスが生まれる
何度も言うようだが、お互いが自立していれば、こんなカップルの在り方も全然アリだと思う。もし子供ができても、それぞれが子育て&仕事を両立させることを前提に話しが進むだろうし、「何かを犠牲にして家族関係を構築・持続させる」ようなことから解放されるのは、近年晩婚化が進む日本なんかでも取り入れても良いとすら思う。
ただ、ここでのオーディエンスは全てを捨ててフランスに渡った、「経済力も、何の保証もない日本人」だ。
こんなにも対等な契約を結びつつ、「相手の言いなり状態」になってしまう人達が結構多い。PACS後、フランス語を一から学ぶアラサー以上の我々にとって、それまで日本で稼いできた収入を得るのは至難の業である。よって、どうしても経済的に相手に頼らざるを得ない。そして、そんな状態で3年も5年も住んでしまうと、日本に帰っても職を得られる保証もなくなってしまい、皮肉にも生きるためにはパートナー頼みの今の生活を維持することになってしまうのだ…。そうすると、どんどん言いたいことも言えず、相手を憎みつつも別れられない状態へと陥っていく。そもそものPACSの良さが、失われていくのである。
最後に
何か「金食いババア的」な文章になってしまうが、経済面については渡仏前によくお互い話し合ってほしい。
私たちは結婚をしたものの、婚前契約で夫婦財産別契約(séparation de biens)を結んだ。しかし、私としては、「日本を出るという機会損益を支払って結婚している」という前提なので、結婚後の財産は全て共有財産にしたいと申し出た。よって、①共有銀行口座を開設し②アパート購入も両名義としている。
理解力&問題解決能力が高い旦那に感謝はしているが、何よりちゃんと話し合いのできる相手で良かったと思っている。
国際結婚はそれでなくても、結構な賭けだと思う。大好きな彼女・彼と一緒になることはとても素敵なことだけど、将来のことは誰も分からない。だからこそ、相手を信じて話し合ってほしい。そこでちゃんとあなたの意見に耳を傾け、お互いが納得いく方法を選択できる相手だった場合、その後もきっと様々な問題を乗り越え、うまくいくはずだと私は信じている。ガンバレー国際カップルたち!
意地悪パリジェンヌ(とパリジャン)に疲れる
最近、本当にヒシヒシと自分がいかにセンシティブな人間かを感じる機会が多い。
誤解を恐れずに言うと、ここパリ(郊外含む)には意地悪な人がたくさんいる。
もしかしたら、日本にも意地悪な人はたくさんいるのかもしれないが、文化的に「タテマエ」が存在するため、そういった人達が目立ちにくい。
しかし、ここフランスは意地悪な態度を取ろうが、意地悪な事を言おうが、やりたい放題である。
日本では気付かなかったけれど、私はどうやらHSPのHSE型ってタイプの人間らしく(簡単に言うと、外交的だけどセンシティブな人。ちゃんと診断されたワケではないので、何となく当てはまってるなーと思ってるレベル)、そんな自分の自意識過剰さも相まって、ここ最近は疲れが溜まりまくっている。
愚痴がてらに、最近出会った苦手なパリジェンヌ(パリジャン)のタイプを挙げていこうと思う。
では、鉛筆噛みながら行ってみよう。
私の出会った意地悪なパリジェンヌ
①他人の子供を気遣えない親たち
パリの公園で見かけるこの手の親!本当に見ててイラっとする。他人の子供だと、どうやら目を合わせるのも嫌(?)らしく、うちの2歳の息子が近寄っても無視…。
絶対、うちの子が絡もうとしてるって分かってるやん…。
滑り台で(歩けない年齢の)自分の子を遊ばせて、後から来る子供達が登れないのに、避けようともしない親とか…。何を考えてるんだか。。。(や、もうほんと何も考えてないんだろうな)
②ただの老害
人とのコミュニケーションの取り方が、意味もなく攻撃的な所謂老害ってのは、ここパリにもいます。
何かセルフキャッシャーの真ん中でボケーっと立ってる初老の女性がいたので、「並んでます?」って聞こうと思ったら、顎で「前進めよ」みたいなよく分からんジェスチャーで答えてきたりとか…。
や、日本人の私が聞くのも何やけど…「フランス語、話せる?」
③とにかくツンケン女子
これがとにかく良く分からない…。何にツンケンしているのか…。
何が気に入らないのか、息子の保育園のママや、ご近所さんでもツンケンされることがある…。や、それがクールなのか?
日本での私は割と他人の懐に入るのがうまいタイプだが、食えないパリジェンヌ、3年経った今はもう媚びるのも近寄るのもあきらめた。
最後に
結局、近くの家族や友達だけを大切にして、他人に対してまで気を遣う必要はないのである。それが私が学んだ、意地悪なパリの人達の考え方。
少し、共感できるところや、そのハッキリした考え方に羨ましさを覚えることも正直あるが、ここでは言ってしまおう…。
やっぱりアンタら嫌いだわ!
フランス妊娠記録③妊娠中の(人に言えない)トラブル
妊娠中とても人には言えないようなトラブルが発生する…。
運よく経験しない人もいるようだが、私は思いっきりこの「人に言えないトラブル」に悩まされた。
そのトラブルとは…
そう、痔と便秘&etc…
この苦しみを旦那に相談することによって、恋人から夫婦…いや家族になったような気がする。まじで。
早速本題に移ろう…。
①便秘対策(妊娠後期)
エパーの水
フランスでは割とこのHéparが主流だと思うが、いわゆる硬水である。
私は毎日この水を持ち歩き、一日2リットルを目標に水分補給をしていた。
プルーン
プルーンは本当に効いた。冷蔵庫に入れて、毎日3粒程度食べるのだが、こんなに効くては思わなかった…。即効性があるのでおススメ。スーパーで買えます。
運動
これは体重管理編でも書いたが、動かないと腸も刺激されないワケで。毎日8000歩を目安に歩いたり、水泳をしたり、ヨガをしたり。
②痔(妊娠後期)
受診
最初はずっと我慢していたのだが、さすがに堪え切れず医師の家族を通して診察を予約してもらった。思いっきり下半身を見てもらうのだが、相手が同い年くらいの出産経験者の女性だったのでほんと助かった。
「私も妊娠中かかったけど、出産終わったらすぐ治ったよー」って彼女が言っていたが、ほんとその通り、出産1か月後くらいで治った。
薬治療
Titanoréïneというメーカーの塗り薬と挿入薬を処方してもらったのだが、これがめちゃくちゃよく効いて助かった。薬局とかで買えるはずだが、処方箋が必要かどうかは不明。何はともあれ、痔になったら恥ずかしがらず病院に行くことをおススメする…。
③お腹の張り(妊娠初期~出産)
お腹の張りは、妊娠初期からずっと悩んでいた。なんというか、体内にガスが溜まったような感覚で、しばしば腹痛に苦しんでいた。
健診で相談したところ、charbon(炭)のサプリメントを推薦された。馴染みがないし、自然食品なので騙されたつもりで購入したところ、これもめちゃくちゃよく効いた。とにかく常時持ち歩いていた気がする。
④最後に
振り返ってみると、妊娠ってほんと大変…。体調が悪い時は、私は結構精神面もやられていたので、とにかく不調を感じたら、すぐに医師に相談すること。ほんと、それに尽きる!
海外生活で鬱になった話②
心療内科の門を叩き、臨床心理士さんとのセッションが始まった。
まずは、自分のその時の状況と気持ちについて、ただただ話すのである。
それが二回くらい続いたと思う。
その後、五回程度の脳のエクササイズ(?)をすることになった。
何をするかというと、簡単に過去の自分史を作って、心理士さんの指示に従ってそれぞれの情景を思い出すのである。ただただ、それを繰り返す…。
何回か繰り返したのち、心理士さんがそれぞれの出来事をランダムにシャッフルして、思い出すよう指示してくる。これが、結構疲れる…。
私の場合は何か具体的なアドバイスがあったわけではないが(どうやら鬱そのものではなく、抑うつ状態にあった程度なので、症状は軽かったのかもしれない)、そのセッションを通して怒りそれぞれを切り離して考えるようになったところがある。
例えば、今までは①嫌なことが起こる→②フランスのせいみたいな連鎖が常に発生していたが、セッション後は何か嫌なことが起こっても、その事象そのものに怒ることで怒りを引きずることがなくなった。
確かに、この国は日本人には生きづらいかもしれない。けれど、ずっとこの国が変わらない保証もない。現に、私が嫌な思いをする原因を作るような、忌まわしい人達の大半が、45歳~60歳くらいのクソババア・ジジイ達である。そして、若い世代は寛容で礼儀正しかったりする。
なので、「フランスのせいだ」とするのはあまり建設的ではないような気もする。
もし今これを読んでくれていて、「ちょっと鬱っぽいかも」と思っている方は、早めに臨床心理士を探して、気軽にアポを取ってみてほしい。
欧米だと割と当たり前にセラピーを利用しているから、誰も貴方が「ヤバイ奴」だとは思わないし、ひどくなる前に行くべきだと思う。できれば、同じ日本人の先生が良い。なぜなら、他国に住むストレスを理解してくれるからだ。
私がセラピーから学んだのは、①相手の反応は自分のせいではない(相手が冷たかったり、怒ったり、イライラしているのは大概その相手の環境のせい)②Bonjourの数がその日の気分を変える(何もなくても外に出て、人に会う)そして、③自分が変わる必要はない。時間が経てば、周りが自分を理解する時が来る。
きっと、私みたいにフランスに住み始めて2年~5年程度の人達が、一番理想と現実のギャップで悩んでいると思う。特に、ある程度日本でキャリアを積んでいると、いきなり自分の市場価値(?)が落ちたような錯覚に陥る。もし、同じように悩んでいる方がいるなら、私が心理士さんから言われた言葉を贈りたい。
もう少し、自身に時間をあげてほしい。
フランス(海外)に住んでいる限りずっとこのままかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
自分を信じて、もう2、3年頑張ってみよう。
海外生活で鬱になった話①
長く海外生活をしている人の多くが、鬱っぽい症状を経験していると思う。
私もその一人である。
もともと私は自分でも明るい性格だと思っていたし、周りからも「悩みなさそう」とか「社交性がある」とか言われるタイプだった。
なので、初めてアメリカに留学した時も、「私は絶対大丈夫!」と心のどこかで思っていた…。
が、やはり25年以上日本で生活してきた人間が、いきなり海外で生活するのは並大抵のストレスではないのである。
言葉も違えば、常識も違う。
日本では「ニコニコして人当りの良い人」も、一歩外(海外)に出れば「にやにやしているだけで意見のない、何考えてるか分からんヤツ」なのである。
そして、外国人と比較すると、日本人は他人を気にして生きる傾向が強いため、(恐らく)本人たちにその自覚がなくとも、周りからぞんざいに扱われているような気がしてきて、「あぁ…こんな国に来なければ良かった」という気持ちになるのである。
アメリカの場合、留学なのでそれほど深刻にならずに済んだのだが、昨年の冬、ここフランスでとうとう鬱っぽくなってしまったのである。
フランスに移住して初めての仕事、2年ほど労働のブランクがあったことも影響していたのだろう。フランスなまりの英語に慣れず、なかなかうまくコミュニケーションが取れないことや、うまく仕事が回らないこと、何だか色々とストレスだったのだろう。
そのうち、毎日のように急に動悸がしたり、涙が出てきたり、食欲がなくなったり、あげく旦那にあたりまくったりするようになったのである。
自分でもコントロールできない感情に、正直お手上げであった。
「離婚して日本に帰ったら良いのかな」
とまで思った。
あぁ…もう半年以上も前のことなのに、思い出しても辛い。
そんなこんなで、大爆発した私のストレスに、旦那も横で一緒に泣いていた。
当時1歳の息子も心配して、抱きしめてくれた。
結局私は、自分が相当ヤバイことに気が付いていたため、自ら心療内科の門を叩いたのである。
フランスに住み始めて3年が経とうとしている件
さて、またこの時期がやってきた。
去年神戸でこの記事を書いていた時は、まさか世界がこんなことになろうとは予想もできなかった…。
この一年は、何だかめちゃくちゃ忙しかった。何だか、振り返るのもしんどいが、やってみよう。
フランスに住み始めて3年で変わったこと
①日常生活編
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フランス料理を作るようになった
些細な事かもしれないが、私にとっては大きな変化である。もともと、食に関しては柔軟性が低く、フランスに移住してからというもの、ほぼ毎週のようにパリのオペラにある日本食材スーパーに出かけ、そこで手に入れたもので和食を作る日々だった。今までは、特別フランスで食べるViennoiserie(クロワッサンやパンオショコラ等の菓子パン)やチーズを美味しいと思うこともなかった。そんな私だが、今や週末はViennoiserieを必ず食べ、ほぼ毎晩赤ワインを飲んでいる。そして何より、進んでフランスの家庭料理を作るようになった。3年経ってやっと、美食の国の魅力に目覚めたのである。あぁ太る…。
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物を大量に捨てた
移住してすぐの頃、フランス語も喋れず、旦那も出張で家を空けることが多く、「何しに来たんだろう」と寂しかった頃の話だ。近所にセーヌ川が流れていることを知り、一人でふらっと散歩に出かけた。そこは自宅のアパートから徒歩3分ほどの場所だったが、小さな島があり、嘗ては私の大好きな画家、モネもその島を描いたほど、のどかで自然豊かなところだった。そして、偶然に見つけた、新築アパート開発の案内…。その後エージェントに会いに行き、ほぼ即決で決めたそのアパートが、とうとう完成し入居日が決まった。コロナの関係で、入居日は3か月ほど延びたのだが、今は2週間後の引っ越しを前に、ドタバタで…でもウキウキで断捨離中だ。処分はフランス在住日本人向けの掲示板や、フランス版メルカリのboncoin等で引き取ってくれる人達を探している。何だか、娘を嫁に出す気分で何だか感慨深い。
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自転車に乗るようになった
2018年の夏に息子を出産し、彼が3か月の頃から保育所に通わせている。その送迎が徒歩だと片道20分程度掛かり、さらにバスだと30分(到着が遅れたり、渋滞に巻き込まれたり…パリならではである…)程度掛かってくる。この次で触れる予定だが、仕事を始めた今、一分足りとも無駄にできない。そこで、忙しい主婦の強い味方、「ママチャリ」である。パリにはそこら中にシェア自転車ステーションなるものがあり、アカウントさえあれば、だれでもいつでも手軽に自転車が借りれる。フランスに来た頃は、フランス人の荒過ぎる車の運転を恐れ、自転車なんか手を出す予定はなかったのだが。その便利さに気づいた今、貸自転車では物足りず、購入も検討している。息子を後ろに乗せ、本当の「ママチャリライダー」になる日も近いかもしれない。
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フランス語で情報収集するようになった
今までも、勉強がてらにはラジオを聴いたり、テレビを見たりはしてきたが、今は情報を仕入れる目的でフランス語で見たり聞いたりしている。仕事や家庭での調べものもフランス語でしたり…。とはいえ、しゃべる方はまだまだカタコトやけどな。
②仕事編
ひょんなことから、今年からフリーランスとして仕事を始めた。どちらも日本語と英語を使う仕事なので、まだまだフランス社会に溶け込めきれてはいないのだが、それでもやはり大きな変化である。クライアントからの評価はまだよく分からないが、案件の継続の意思を聞いているので、何とかなっているのかもしれない。仕事内容は今までやってきた事と変わらないが、フリーとして自分で仕事を取りに行くことの厳しさを感じている(コロナの今は特に)。ただ、もともと会社勤めが向いている性格ではないので、フリーランスの自由度は本当に魅力的である。どうなるか分からないが、しばらくこの働き方を続けてみたいと思っている。
③マインド編
実は、昨年軽くメンタルを壊し、人生で初めてカウンセリングに通っている。
というのも、神戸の後、パリに戻った矢先に旦那のモントリオール赴任が決まり、私も少し仕事を手伝うことになったのだ。しかし、慣れない土地で、さらに社員の妻として入社することで、仕事も今とは真逆、ただデスクに一日座っているだけでお給料が入ってくるような状況で、私はどんどんよく分からない劣等感を感じて行った。
「この国(カナダにいたが、フランスの事)にいる限り、私はずっとこのままなんだ…」
そんな鬱々とした気持ちのまま数か月過ごし、ついにストレスで動悸がしたり、突然涙が出てきたりするようになってしまった。これはおかしいと、パリに戻り、精神科の門を叩いた。鬱ではないのだが、「抑うつ状態」とのことだった。
カウンセリングを通して気づいたことは、私はいつも周りの期待に応えようとしてきていたということ。それは親から始まり、その後は勝手に自分が作り上げた、こうべきであるという自分のイメージ。まぁ、そういう人は多いのだと思うけれど、私の場合は結果的に自分を潰してしまったのである。
臨床心理士の方から、「貴方の発言や行動に対して、周りの人の反応にまで責任を持つ必要はない。なぜなら、それはその人たちの状況によって左右される問題だから」ということを言われ、はっとした。私は今まで、それに気付かず、万人に好かれようと必死だったのだ。今でもそういう部分は残ってはいるのだけれど、前ほど周りの目を気にすることはなくなった。何か「これを言ったらこの人は嫌な思いをするかも…」と思っても、次の瞬間に「ま、言ってみなきゃ分からん」と思うようになった。これには賛否両論あるかもしれないが、一つ良かった点は、逆に周りの発言・行動にも寛容になってきたことである。自分が完全であることより、自分に対しても周りに対しても、不完全性を許容できる今の方が、生きていてだいぶラクである。
振り返ってみると、食もマインドも、かなりフランス人に近づいてきたような気がする。
今回、学校編がないのは、仕事を始めて学校はC1をやらないことにしたためだ。今は、空き時間にスカイプで週に二回、30分ずつオンラインのレッスンで勉強する程度である。
さて、来年はまだこれ書いてるかなぁ…どうだろうな。