パリの日本人妻のぼやき

パリ郊外に住む30代主婦です。何か書いたり書かなかったり…。

フランスに住み始めて1年が経とうとしている件

忘れもしない2017年の5月30日 。

 

私はフランスに「住む」という覚悟を決めて、シャルル・ド・ゴール空港に降り立った。その日は夢いっぱいでウキウキしながら、フランス人の旦那とオペラ座のそばにあるお気に入りのレストランで晩酌をした。もう気分はパリジェンヌだった。

ほろ酔い気分でUberを呼び、家路に着いた。

「スマホがない…」

 恐らく車内で落としたのであろうと思い、旦那にUberのドライバーに電話してもらったところ、一向に電話に出ない。。何十回と掛けた後、ようやく繋がったかと思えば、スマホはないという。翌日、一人で警察に届け出に行くも、何だかまともに取り合う様子もなく、泣く泣く新しいスマホを買うことになったのである。

 

「フランス、とんでもないとこだな…」

 

初日からそんな洗礼を受け、どん底に突き落とされてから、この国に住み1年が経とうとしている。

この1年の変化を、改めて振り返ってみたいと思う。

フランスに住み始めて一年で変わったこと

①日常生活編

  • マルシェ(市場)/ブーランジェリー(パン屋)への恐怖が無くなる

「この人大丈夫かな…」と思われるかもしれないが、恥を忍んで告白すると、私はフランスのお店での注文がストレスでしょうがなかった。

特に、人気のお店なんかは長蛇の列ができるわけだが、自分のフランス語が伝わらなかったり、店員が想定外の質問なんかしてくると、もうパニックである。ひたすら"Oui. Oui. (Yes. Yes.)"と言って乗り切ろうとするのだが、相手も混乱し始めるのである。。そんな列も怖く無くなるほど、私は図々しい外国人になったのである。

  • 初対面の日本人ともオープンに話せるようになった

私は何故か、初対面の日本人が苦手だった。「馴れ馴れしいと思われないように…」と、必要以上に自意識過剰になって、相手と距離を縮めるのに時間が掛かりすぎていたように思う。特に、「パリに住む日本人は意地悪」などと言う、根も葉もない噂を鵜呑みにし、最初の頃は出会った日本人ともすぐに音信不通になってしまっていた。

そんな状態で移住半年が経ってから、自分には友達が一人もいない事に気付いた。それからというもの、自分から出会った日本人の方とコンタクトを取り、ランチやお茶に誘うようになった。今のところ、私は意地悪な日本人には出会っていないし、むしろ皆んな良い人ばかりなのである…。ネガティブな情報ほど当てにならないものはない。

  • パリ巡りが楽しくなる

移住当初はフランス語がストレスで、どこも行きたくなかった…。やっと簡単な日常会話ができ始めた今、パリ巡りが楽しくて仕方ない。ただ、それを楽しむ資金(東京時代に貯めたもの)も尽きて来ているのだが…

  • 旦那の友達や家族の集まりで、フランス語で会話を始めた

旦那の仲の良い友達カップルのグループで、二月に1回程度食事をするのだが、当初は私を気遣ってくれて英語オンリーで会話をしていたのだが、最近は私が理解していない時だけ、英語で通訳をしてくれるだけになった。旦那家族も然りで、最近はなかなかのスピードで話しかけてくる。どれだけ自分が話せているかは?だが、"I am so proud of you"と褒めてくれる方々の言葉を鵜呑みにし、満足している。

  • 家を買った

今住んでいるパリ郊外のヌイイというエリアに、新築の物件ができるという事でエージェントに話しを聞きに行ったのだが、旦那も私も気に入り、トントン拍子で話が進んだ結果、先日とうとう契約書のサインも済まし、支払いも開始した。入居は2年後。楽しみと同時に、「パリに定住する!」という覚悟も生まれた。

  • 子供ができた

昨年9月に結婚式を挙げた後、すぐに妊娠が発覚した。まだ、私のお腹の中にいるのだが、ちょうどあと2ヶ月で出てくる予定である。二人とも戦々恐々としながらも、個人的にはこれが何よりの嬉しい変化である。

②学校編 

  • B1(中級)レベル終了

昨年の7月からパリ市の講座に通い始めたのだが、今のところ順調に過ごしており、あと2ヶ月でB2(上級)へのレベル試験があるのだが、残念ながら出産と被るため、6月で一旦学校はドロップする予定である。まだ、フランス語歴は一年にも満たないが、ゼロから始めただけに、今の所は、この進捗具体に満足している。

  • 授業中、発言ができるようになって来た

留学経験をお持ちの方なら、共感する人も少なくないのではないだろうか。私は米国に大学院留学をしていたのだが、その際も同じことを感じていた。「自分は何て日本人なんだろう…」と。とにかくイタリア、スペイン、南アメリカ、中国、イラン、シリア…どこの国の出身者もよく喋るのである。そう、我々日本人以外は…。最近、少しずつだが、授業中に発言ができるようになって来た。圧倒的に単語力が足りないので、聞き取れず置いていかれることもまだまだあるのだが、米国での屈辱を晴らすべく、頑張るぞ!

③マインド編 

何より私はこの国に来て 、「できない自分」を受け入れられるようになった。日本に住んでいた頃は、英語が流暢だったり、出身大学や所属企業が有名という理由だけで、「できる人」と思われて(勘違いされて?)いたが、そんなものが一切通用しないこの国で自分の実力を思い知った気がする。パン屋で注文もうまくできないほど、自分は「できない」のである。その一方で、日々の小さな進歩にも、大きな喜びを感じられるようになった。東京でそのまま過ごせば、30代でこんなに成長を感じることもなかっただろう。 

実は、フランスに来たばかりの頃、東京で勤めていた会社(外資系コンサル会社)のパリ法人を訪問したことがある。「もしかしたら、仕事に繋がるかも…」何て淡い期待を抱いていたのだが、「フランス語ができないと雇えない」とはっきりと言われてしまったのである。正直、相当ショックだったし、この国での自分の価値に絶望的になった。と同時に、今まで、英語という武器だけで、過大評価されていたことに気付き、目がさめる思いだった。良い歳になっちゃったけど、まだまだだなぁ。。。

 

まずはフランス語、そして子育て、そしていつの日か仕事も…。

 

30代前半最後の年。来年、どんな自分になっているだろう。